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@ お龍にときめく龍馬…手紙の読み順に新解釈 [歴史]

幕末の志士・坂本龍馬が姉の乙女らに宛てた慶応元年(1865年)9月9日付の手紙(和紙2枚、重文)は、同じ紙の両面に書かれていたのを表装の際に表裏で剥がしていたことが、所蔵する京都国立博物館(京都市)の調査でわかった。  従来、同郷の志士の近況を書いた方が「1枚目」として解釈されてきたが、両面だと紙の使い方から、妻となるお龍(りょう)の大立ち回りを記す「2枚目」が「1枚目」となり、仲間のことよりも、お龍にときめく龍馬の姿が浮かんでくる




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改革果たせず「恨無限」…半平太、獄中の漢詩 [歴史]

坂本龍馬の盟友で、土佐勤王党を率いた武市半平太(瑞山、1829〜65)が、切腹までの獄中で書いたとみられる漢詩の書が見つかり、高知市立龍馬の生まれたまち記念館が14日、発表した。  改革が果たせず、「恨(うらみ)無限(かぎりなし)」などとある。武市の研究家で鑑定した松岡司(まもる)・前高知県佐川町立青山(せいざん)文庫館長は「勤王党を弾圧した前土佐藩主・山内容堂への恨みと無念さがにじみ出ている」とする。漢詩の書が見つかったのは初めてという。  漢詩は縦120センチ、横28センチの紙に書かれ、掛け軸に表装。由来書によると、武市が信頼した牢(ろう)番・門谷(かどや)貫助(1843〜94)の頼みで書かれた。門谷の知人の手に渡り、その子孫が他の資料とともに記念館に預けた



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@【徳川家定】 一説には、脳性麻痺であったと言われる Wikipedia [歴史]

徳川家定 - Wikipedia
文政7年(1824年)4月8日、第12代将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。家慶の男子は殆ど早世し、生き残っていたのはこの家定だけであった。しかし、幼少時から病弱で、人前に出ることを極端に嫌う性格だったと言われている。その為、乳母である歌橋にしか心を開かなかったらしい。一説には、脳性麻痺であったと言われる 


タグ:徳川家定
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